会社で先輩にくそ怒られる社会人●年目

OLです。

 

今日も先輩にくそ怒られました。

しかも、100−0で私が悪かった。

こんなんばっかりや。

 

新卒1年目のときは、私があまりにも仕事ができなさすぎて(言われたことを覚えていられない、気が利かず現場仕事で足手まといになる、急に言われたことにとっさに答えられない、目の前のことで頭がいっぱいになると他のことを忘れてしまう、等々、もはや覚えていないくらい)、自分ってADHDなんじゃ・・・と思った(しかもネットの”ADHD診断”とやらをやってみたら半分くらい当てはまった)ことがある。

しかもその話を友達や先輩に言ったら「わかるー!私も自分のことADHDなんじゃと思って診断したし私も半分くらい当てはまった!!笑」ってみんな言ってた。なんじゃそりゃ。

 

そして1年目のときは「私はなんでこんなに仕事ができないんだろう」と悩み続けていて、いま、●年目になり、まーーーーだ同じことで悩んでいる。

 

というか、つい数日前までは「営業の数字が目標にいかない」ことに悩んでいたのに、次はまたこれ。なんなん!!終わりのない闇かよ。

 

今日は私が適当にやった仕事のせいで先輩にくそキレられ、そのミスをリカバーするために走った1日だった。私の上司たちは「部下のミスをカバーするのが上司の仕事」だと思っているので、ミスの報告に行ったらすぐに解決策を出してくれたのだけど、「ミスを報告する」ってつまり「何か仕事をしてる」ってことで、営業活動がんばってる感を出すことには成功し、営業の数字いかない問題の精神的疲労が若干和らいだ…んだけど、これってどう考えてもやばい。ミスの上塗りで前のミスを忘れるってどんなやねん。

 

でも、1年目のとき、この世の終わりみたいに凹んでいたミスって、もうなーんにも覚えていない。だから今日の凹みも1年したら忘れるだろう。忘れなきゃやってられねえよ。

 

私の先輩は心を傷つける怒り方をする人で、例えば「今何年目?●年目なのにできないの?」「●年目っていったら他の人ならもっとでかい仕事ガンガンまわしてるよ。お前どんどんいらない人間になるよ」みたいなことを、何かで怒られるたびに毎回言う。ほんっとに、毎回言う。何で怒られてる時も必ず最後はその話になる。よほど本気でそう思っているのだろう。先輩が言っていることは真実だし、先輩は超仕事ができる人なので、その説教に対して「理不尽だ!」とかは思わない。ただしんどいな〜ってだけ。先輩もだけど、自分のダメさと否が応でも向き合わされるのが。

 

仕事がダメなまま40年生きるのはきっと苦しい。だったら、いまできるようになるべきなんだろうなあとは思う。

 

前向きかよ。

 

だって今日の仕事はくそみそだったし、きっとそのことで明日また別の先輩に怒られると思うけど、終わってしまったことはどうしようもないので、今後できることを考えるだけだ。

 

とはいえ、しんどい。

 

しんどいときこそクリエイティブになるべきなんだって。しんどいときに「耐える」ことはいいことじゃないって、今日たまたまTLに流れてきて、めっちゃ救われたかんじがした。そうかあ。。

 

 

生きるためには働くしかねえから、がんばる。

まだ水曜かよ。

 

ところで今日私が苦しんだことはまた別の機会に考察できそうなので日記に書くかも。テーマは「新人が間に挟まれた時〜仕事篇〜」みたいなやつ。もう新人と呼べる年でもねえけど、1年目のときと同じ状況で今日しんどかった。誰の言うことを聞けばいいのよ!?みたいな。

 

後ろ向きなことを考えるのはやめよう!!

 

でもなんかこういう「仕事ができない」みたいな悩み、年をとるにつれて友達に言いにくくなってきた。友達はだんだん仕事ができるようになっているみたいだし、1年目は「仕事つらいよねー」って言い合えてた友達が、共感してくれなくなっている。

共感してもらいたいから話すのに。

 

昔、こういうことでずっとしんどかったとき、「私のすべてを肯定してくれる人と話したい!!!」と思って、いのちの電話系の電話番号控えてた。結局電話しなかったけど、今こそするときかもしれない。

 

女性の「結婚したい」は「死にたい」と同じ意味。と峰なゆかさんが言っていて、うわー!なるほど!!って、めっちゃ思ったんだけど、仕事してて「死にたい」って思う瞬間ありすぎる。「死にたい」って要は「目の前のことがうまくいっていない」って意味なんだなあ。この先生きていても良いことなんて何一つないのに、100歳くらいまで生きなきゃなんないの、本当にどうかしてる。生きたい人に寿命あげたい。ほんとに。タダであげるのに。

 

早く死ねますように。明日目が覚めませんように。

おやすみなさい。